imoshunのブログ

笑って貰いたい。就活で最初から最後まで上手くいく人って少ないと思うので、疲れたときにクスっと笑って「また頑張ろー」と思って貰えるようなブログにしたいです。

お昼寝にU理論を使おうとしたら世界の真実が見えた(二部)

(前回のあらすじ)

心地よくお昼寝をしていた私のもとに突如現れた罪悪感。
その罪悪感を消すべくU理論を活用していた私は、この世界が隠し続けていた真実に気付いたのであった。

 

↓詳しく読みたい方はこちらから

shunsakuimoto.hatenablog.com

 

 

↓続き

(当時の思考)

--------------------------

罪悪感なくお昼寝がしたいぃぃぃぃぃぁぁぁぁっぁぁぁああああああ!
だがリフレーミングでもこの罪悪感を消すことは無理だった。
こうなったらU理論を使うしかない。

 

お昼寝をしている自分がいて、焦燥に駆られている。頑張っていないことに罪悪感があるのだ。そのことを、肯定も否定もせず、ただそうあるものとして受容していく。
自分の捉え方や感じるものをあるがままに観察し、ありのままの自分としてそれを受け入れていく。その受け入れ態勢がマザーテレサの領域に入りかけた時、 私は自己受容をしながら、過去の記憶を紐解いていった。

 

そもそも、
お昼寝に罪悪感を感じるようになったのはいつからだ。
少なくとも0歳の頃は罪悪感はなかった。お昼寝は自己成長の時間であり、そこに多くのリソースを投下している自分にプライドさえ持っていた。
だが中学生の頃にはもう罪悪感を感じていた。宿題があるのにお昼寝をしていたあの時間は猛烈に苦しかった。

 

頑張らないといけない状況なのに、頑張っていなかったから苦しかったんだ。
そうか、そうか。。。

ん?

あれ?

そうなると、

なんで"今"頑張らなきゃいけないと思ってるんだ?
そもそも今って誰からも「頑張れ」って言われてなくね?

 

たとえば、ここが就活でいう事業立案型インターンシップだったらまだ分かる。
それなら私も、お昼寝の状態からマッハ3で頑張る体制を整え、24時間戦い続けても大丈夫ですアピールをして、夜の睡眠時間を極限まで削りに行くだろう。そして、発表日に目を血走らせながら、「2時間寝れたので全然大丈夫です!みんな絶対優勝しような!うおおお!」とか言って、張りぼてのようにガバガバな事業案をゴリゴリの執行役員の前で披露し、さも完璧なアイデアであるかのように熱く語るのだ。
なんと虚しい行為であろうk

 

口が滑りかけた。危ない危ない。(◎_◎;)

 

だがしかし、こと"今"においては、
誰からも頑張れと言われていない。
自分も別に頑張りたいと思っていない。
なのに、頑張らないといけないと勝手に思い込んで、勝手に罪悪感を感じている。

 

これは異常なことだ。
知らず知らずのうちに形成された意味不明な固定概念が、自分の中で確固たる行動規範となり、半自動的に 自分の思考と行動を制御していたのだ。

 

誰からも求められず、自分もやりたくないことをやろうとしている。
これほど滑稽で愚かなことはない。だが、その何より滑稽で愚かな行為を、私は平然とやろうとしていたのだ。
この真実に気付いたとき、私は心から恐怖した。

 

そして、パンドラの箱を開ける決心をして、原因の究明を始めた。

 

この矛盾に溢れた行為がなぜ生まれたのか?
そもそも、人の性格は大きく4つの要因によって形成されている。

1.気質…生まれつきの先天的なもの

2.家庭環境…親の影響など

3.社会環境…社会的な考えの影響など

4.役割…その時々の役割に応じた考えや立ち振る舞い

 

0歳の頃に罪悪感を感じなかったということは、どうやら先天的なものではないようだ。そして中学生の頃に感じたということは、家庭環境か社会環境が要因として考えられる。


そう言えば、
小学校の頃、帰りの会で"頑張っている人を褒める制度"があった。「〜〜さんは、すごく頑張って掃除をしていました。拍手しましょう。パチパチ。」確かに、頑張ることが正義だという価値観はこういったことで培われたのかもしれない。
高校入学時にこんなことを言われた。「我が鶴〇高校では、学生の部活動加入率は9割を超えており、塾に通っている者は少なく、家での学習時間は平均4時間であります。文武両道ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおうぉぉぉおおおお!!!」
ここまでくると、もはや人間というよりスーパーサイヤ人だ。
より頑張っているほうが、あたかも価値があるかのように教育を受けてきた。

 

積み上げられた教育の末に、頑張る人間は善で、頑張らない人間は悪だという価値観が完成したのだ。教育という名の社会環境によって、先ほどの固定概念は形成されたようだ。


これはもはや洗脳と言っても過言ではない。
本人も気づかないほど自然に、そして心の奥深くに、「頑張ることが正義で、頑張らないことは悪だ」という固定概念を植え付けている。
北朝鮮も思わず二度見してしまうほど完璧な集団洗脳である。

まず間違いなく、洗脳は成功したと言えよう。
現に私は今、誰からも頑張れと言われず、自分もお昼寝したい状況であるにも関わらず、頑張っていないことへの罪悪感を勝手に感じて1人でもがいている。

 

想像してほしい。
誰もいない部屋で、21歳にもなる大男が、お昼寝したい気持ちと、それをとめる罪悪感の狭間で、うんうん唸っている様子を。異常な光景が想像できただろうか?
これが洗脳だ!!!

 

教育という名の社会環境によってつくられた虚構の自分。だが、それを本当の自分だと思い込んでいた。

 

今こそ洗脳を解くときだ!
頑張っていないことに罪悪感を覚え、やりたくもないのにプログラムされたロボットのように頑張り続ける時代は終わった。

 

罪悪感に追われて、単調に走り続けていた日々。
今思うと涙ぐましい。あぁ、なんて悲しい生き方をしてきたんだ。
偽りのルーティンから脱却し、これからは自分らしく生きよう!

 

そう決めた私は、頑張ることをやめ、人が20時間かけてやることを最適化して4時間で行い、残りの16時間はお昼寝をすることを心に誓った。
それでいいんだ!

 

無事に罪悪感に勝利をした私は、
バク宙とハンドスプリングをしにお花畑に戻ったのであった。

 

 

結局言いたかったことは?

 

↓続きは三部で。

shunsakuimoto.hatenablog.com