コロナ状況下で選考通過率が激減し、
無数の選考に挑んでいった結果、ムッキムキの頭脳ビルダーとなった22卒就活生たち。
そんな就活ゴリラ軍団と同じ土俵で選考を受けると思うと、胃が痛くなって思わず23卒になりそうな今日この頃です( ̄▽ ̄;)
どうもどうも、いもしゅんです。
今日はフィードバックに関して自分が勝手に持っていた固定概念をバッキバキに砕いて、エベレストの頂上に置いてこようと思っておりまする。
鋼鉄のパンツを履いてた就活時代
時は就活時代、
私は鋼鉄のパンツを履いて就活に臨んでいた。。。!
インターンで言えば、
あたかもチャンピオンロードを歩んできたような偉大な自己紹介で牽制し、
他人のMoreをロールキャベツのようにオブラートに包んでフィードバックし、
自分に対して厳しい言葉が飛んできたときは目も当てられない。
相手のフィードバックは馬の耳に念仏で、
自分からのフィードバックはいつもロールキャベツ。
失望されたくない!
嫌われたくない!
いやだいやだいやだいやだぁあああ!!!
承認欲求の富士山ともいえる私は、
嫌われたり失望されたりすることを極端に恐れていたのである。
ゆえに、最も恐れたのは、最高に厳しいフィードバックを貰うこと。
厳しいフィードバックの中には、性格に言及するものまであり、そのような時には自分という人間を否定されたような気持ちになった。
しかし、
私はフィードバックというものの本質を100%履き違えていた。
フィードバックと感情表現の違い
そもそも、フィードバックで厳しいことを言われても
「あなたのことが嫌いです」という意味では全くない。
フィードとは英語で「Feed」であり、「食べ物を与える≒栄養を与える」ことを意味する。また、バックは「Back」であり、「返す」ことを意味している。
つまり、フィードバックは受け手にとって活かせるもの(客観的な評価)を伝える行為なのである。
一方で、感情表現とは、人間の内面に彷彿した感情を表現すること。良くも悪くも、相手に直接伝わるために、関係がよくなることもあるが、最悪の場合断絶ということもある。
私はフィードバックを感情表現と混同していた。
そして、私に対して客観的な視点で伝えてくれている厳しいフィードバックを、「お前まじで使えなさすぎ、大っ嫌いだクソ野郎」という感情表現と混同していたのである。
・客観と主観
・事実と解釈
・フィードバックと感情表現
これらを切り離して認識することはとても大事だ。
それらを切り分けられていなかった私は、
厳しい言葉、痛いところを突く言葉を言ってくる相手に対し、
あぁ、この人からは嫌わてしまったと勘違いしていた。
そんなことで落ち込むのは馬鹿である。
相手は自分のことを嫌ってもいないし、失望もしていない。
厳しいフィードバックはむしろ、真摯に向き合ってくれている証なのである。
ありのままフィードバックの巻
また、自分から他者に厳しいフィードバックを言うのも、良いことだと思うようになった。
私は就活時代、相手からどう思われるかを気にして本音を包み込んでばかりいて、ロールキャベツ作りの天才になっていた。しかし、ロールキャベツでは中身が何かはっきりと分からない。本当に言いたいことが伝わらない。
伝えるべきことがしっかり伝わるように、どストレートにフィードバックすべきだし、あくまでも周囲から見た時にこう見えるという客観的な評価なので、別に言われた本人がどう捉えるかはお任せしたらいい。
大事なのは、客観的に周囲からそう見えたとお伝えすること。
だって本人がどう思っていようが、周りからはそう見えているというのは、揺るがない事実だから。
お伝えしたら後は本人次第。改善したいなら改善すればいいし、変えたくないなら変えなくていい。別に正解がある訳ではない。どっちでもいい。本人がなりたいようになればいいのだ。
だから、言う側はありのままでフィードバックしたら良いと思う。
まとめ
1.フィードバックと感情表現を切り離して捉えよ(フィードバックを貰う側)
厳しいフィードバックで相手から嫌われたと思うのは被害妄想なので、
そういったフィードバックを貰ったら、表面的に取り繕うのではなく、真摯に受け止めて成長していくのが良い。
2.ありのままでフィードバックせよ(フィードバックする側)
フィードバックはあくまでも周囲からの客観的な評価であり、フィードバックを貰う本人がどう思っていようが周りからそう見られている事実は変わらないので、率直にお伝えするのがいい。その上で、何を選択するかは本人にお任せしたらいい。