imoshunのブログ

笑って貰いたい。就活で最初から最後まで上手くいく人って少ないと思うので、疲れたときにクスっと笑って「また頑張ろー」と思って貰えるようなブログにしたいです。

悩むな、思考せよ。そうだ、80社にES出せばいいやん。

いきたい企業を見つける時にやっぱり悩む自分がいる。

市場価値、自己成長、職種、フェーズ、お給料、人、ファーストキャリア、事業内容、理念、ワークライフバランス、その他もろもろ。。。


色んな要素があってしょうがないと思うこともできるが、ガチで前に進みたい時に悩むのは個人的に大嫌いなので、悩む行為を断ち切るために「悩むこと」と「思考すること」について考えてみた。

 

 

80社にES出せばいいやん

去年の5月頃、サマーインターン選考への応募を始めた自分は、なかなかESが通らずに悩んでいた。生々しく書くと、有給だからという理由で志望動機も激薄のまま、リクルートDeNAコロプラNRIの4社にESを出した自分は、そのうちの半分でES落ちを経験して自信を無くし、これからどうしようかなーと漠然と悩んでいた。

 

そんな時、先輩に、「何社出したらいいんだってばよ、何から手をつけるのがいいのか分からないってばよ」的なスーパー曖昧な悩みをぶつけたところ、「何のためにサマーインターン行きたいの?何社行きたいの?」と問われた。
そこで、「働くイメージをつけるために業界にこだわらず20社インターンに行きたいです」という意思を伝えたところ、現状の4社受けて1社通るかどうかの選考通過率であれば、20社行くためには純粋に80社ESを出す必要があるねという算数の話をしてくれた。

小4の算数だが、この解答を聞いた時に、自分が思考をやめ悩んでいただけだったと気づきハッとした。

悩んでいるときは、頭の中が常にぼやっとしていたのだ。「ESの提出数増やさないといけないなぁ、でも受かるか分からないし時間もかかるし悩ましいなぁ、行きたい企業を見つけるのが先か実力をつけるのが先かどっちがいいかなぁ」とかを思って、具体的な思考もせずに堂々巡りしているだけ。

ストレートな表現だと、「考えているふりをしてる」だけであり、例えるならロダン作「考える人」のフリをした「ただ肩肘をついて寝ている人」であった。

 

悩んで結論を出そうなんて茶番

ちなみに、「悩む」と「思考する」の意味を調べると以下の通りだ。
・悩む…決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。
・思考する…考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。(結論を導き出す、予想する、意図する)

 

ここからは完全な独断と偏見だが、悩む人ほど「優秀ぶる」気がする。色々なことが見える自分には考えるべきことが無数にあるのだと思っているように感じる。

 

もしホントにそう思ってるとしたら、控え目に言って茶番である。
色々なことが見えるのは、自分が優秀だからではなく、そもそも世の中には考える要素と考えるべき事象が無限にあるからだ。そんな中、主体的にフィルターをかけることもせず全部を見ようとすれば、当然自分が取り組む問題は曖昧になる。問が曖昧なまま納得のいく結論に行きつこうとしてもたどり着ける訳がない。

 

怖いし、痛いけど、思考せよ

確かに、見えるものが増えるほど、何かを決断して進むのは怖くなる。だが、頭の中で堂々巡りをしているうちは、何も起きない。何かを前に進めたいなら、自分で決断をし、問題を明確にし、1つひとつに具体的な思考を働かせるしかない。

かつてマイケルジョーダンは言った。「ステップ・バイ・ステップ。どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。」

 

道楽で悩むならプッシュです

とはいえ、悩むことが悪いとは別に思わない。「悩む」という行為がしたくなったらすればいい。

あれと一緒だ。
何となく黄昏れたいときに海辺に行って夕焼けを見るとか、普段と違う気分を味わいたくて車があるのに電車で出勤してみるとか。
その行為自体は自由だし、やりたい時にやったらいい。「悩む」とはそれらと同列の行為だと思う。

 

序盤の就活の話に遡るが、いきたい企業を選ぶ際にも、悩むことは必要ない。「どっちがいいんだろう、正解なんてないしなぁ、難しいなぁ」と悩む暇があるなら、企業に対して1つひとつ思考してクリアにしていけばいい。

・実際に働くなら1日の流れはどんな感じか?
・どんな人たちと過ごすことになるか?
・日常生活や、余暇時間はどんな風に過ごすことになるだろう?
・ここで働いたら、3年後はどうなっていそうか?5年後、10年後の自分はどう成長しているか?


思考すれば、全部は見えないとしても、何が分かって何が分からなかったかは明らかになり、分からなかった部分や納得いかなかった部分も含めて、思考した分だけ受け止めてゴールにたどり着ける。

 

繰り返しになるが、前に進みたい時に「悩む」行為は必要ない。だから、もし変なところで立ち止まったら何度でも自分に言いたい。

 

悩むな、思考せよ。

特別は普通を求め、普通は特別を求める

隣の芝生は青く見える
ということわざがある。これは、他人が持っているものは、往々にして自分のものよりよく見えるという意味だ。私は隣どころか1万キロメートル離れた芝生も気になるタイプなので、3カ月生きる中でも「いいなー、うらやまCィィ」と感じることが100回ほど出てくる。

そこで今日は、橋本奈々未 大先生(元乃木坂46)の「ないものねだり」という曲の歌詞を4部構成で考察していこうと思います。まあ、冗談ですけど( ̄▽ ̄) 

 

 

特別は普通を求め、普通は特別を求める

真面目な話、最近かなり自分と他人の「ないものねだり」がはっきり見える。その解像度の高さは、好きな子と一緒に帰れると決まった男子中学生の脳内を予想した時の解像度の高さに匹敵する。

例えば、この間は西南大学の就活生と話した。授業、サークル、バイト、飲み会と、いわゆる大学生の王道を行っていて、The大学生という感じだったが、話を聞くとマハキ〇の代表に憧れていた。自分の好きなことを発信したり、活動を頑張ったりしていて、すごくキラキラして見えるし、カッコいいとのことだった。The大学生といえる大学生活を送った結果、命燃やして何かを頑張るとか、誰かにとって特別な存在になる感覚は少なかったのかもしれない。

 

ちなみに、ないものねだりは自分より凄い人に対してだけ起こるものではない。

 

先日、エンカレッ〇九州支部支部長と海に行った。正確には覚えてないが、「夏に海行って遊ぶって大学生っぽくていいね、あまりしてこなかったわ」的なことを言っていた。やりたいことや想いと真摯に向き合い、自分の道を切り拓くような生き方をした結果、おそらく一般的な大学生が経験しているような楽しさは少なかったのだと思う。さっきとは逆で、普通に対するないものねだりもあるのだ。

 

余談だが、私はキングof ないものねだりだ。
スーパー能力が高かったり華があったりすることもないので、平手友梨〇のような天性の才と努力で圧倒的なパフォーマンスを披露し孤高の存在になることにも憧れるし、一方で、人付き合いが悪く大学1〜3年生の期間は年3回くらいしか飲み会を経験しなかったので、毎日飲み会でスピリタス(度数96%のお酒)を浴びるように飲んでバカ騒ぎするのも楽しそうだと思う。(※飲み会のデータ不足により、普通の飲み会でスピリタスが出るのかは不明)

 

 ないものねだりはいずこから

特別にも普通にも憧れる「ないない型」の自分は、ないものねだりがどこから起こるのかすごく気になった。色々検討した結果、シンプルな解としては「他人を見ることから起こる」だった。

他人を全く見ない人間は、自分こそが基準であり、そもそも自分に「ない」を感じることが少ないので、ないものねだりが起きづらく、逆に他人をよく見る人間は、自分に「ない」を見出すことが多いのでないものねだりが起きやすい。

じゃあそもそも他人を見てしまうのはなぜだろう?
ケース1:義務教育の中で他者比較をされて育ったから(環境的背景)。
ケース2:日本で長らく続いた村社会では、仲良くなったり他者を出し抜いたりするために他人を見ることが必要だったから(歴史的背景)。
ケース3:SNSで他人の日常が見えやすいから(時代的背景)。

色々ありそうで、ぶっちゃけ分からなかったが、とりあえず考えるのが楽しかったので次にいこう。

 

仮説思考(想像力)で現実みるってばよ

時を戻して、ないものねだり本編に話を戻すと、ないものねだりが多い人に必要なのは仮説思考(想像力)だ。

正直、自分がホントに〇手友梨奈になったとしたら、求められるパフォーマンスへの期待に疲弊して3日で〇坂46を脱退するだろうし、飲み会でスピリタスを浴びるように飲む生活を続けたら、怠惰な自分に自己嫌悪するか、変わらない生活に飽き飽きするだろう。

1分間想像を膨らませて、羨んでいる相手の生活を実際に自分がやっている脳内シミュレーションをしてみると、素敵な面だけでなくきつい面も見えてくる。

・自分がその人になった時、周囲からは何を期待されているか?
・自分がその人として生活した場合、生活の自由度はどのくらいか?
・自分がその人のように生き続けるとしたら、365日続けた時に自分はどんな感情になっていそうか?
1つひとつクリアにしていったら、単純に自分には「ない」ものを欲していただけで、心から求めていたものではなかったと気付ける。そんな「ない」ものを欲して手に入れても、心は満たされない。単に「ない」ものではなく、自分の心が強く求めているものを見つけて手に入れていくことが大事なのだと思う。

 

隣の芝生もぶっちゃけ青くない

最後に、隣の芝生は青く見えるの由来だが、
自宅の芝を見る時は上から見ることになるため枯れた芝が目立ち、隣の家の芝生を見る時は斜め上から見ることになるため角度がついて枯れた芝が見えにくく青々と見えるところからきているらしい。

要は、自分を見る時は良いところも悪いところもはっきり見え、他人を見る時は角度がついて良いところばかり見えるのだ。本当は隣の芝生も思ったほど青くないらしい。

 

鋼鉄のパンツを履いてた就活時代

コロナ状況下で選考通過率が激減し、
無数の選考に挑んでいった結果、ムッキムキの頭脳ビルダーとなった22卒就活生たち。

そんな就活ゴリラ軍団と同じ土俵で選考を受けると思うと、胃が痛くなって思わず23卒になりそうな今日この頃です( ̄▽ ̄;)

 

どうもどうも、いもしゅんです。
今日はフィードバックに関して自分が勝手に持っていた固定概念をバッキバキに砕いて、エベレストの頂上に置いてこようと思っておりまする。

 

 

 

鋼鉄のパンツを履いてた就活時代

時は就活時代、
私は鋼鉄のパンツを履いて就活に臨んでいた。。。!

 

インターンで言えば、
あたかもチャンピオンロードを歩んできたような偉大な自己紹介で牽制し、
他人のMoreをロールキャベツのようにオブラートに包んでフィードバックし、
自分に対して厳しい言葉が飛んできたときは目も当てられない。

 

相手のフィードバックは馬の耳に念仏で、
自分からのフィードバックはいつもロールキャベツ。


失望されたくない!
嫌われたくない!
いやだいやだいやだいやだぁあああ!!!

 

承認欲求の富士山ともいえる私は、
嫌われたり失望されたりすることを極端に恐れていたのである。

 

ゆえに、最も恐れたのは、最高に厳しいフィードバックを貰うこと。
厳しいフィードバックの中には、性格に言及するものまであり、そのような時には自分という人間を否定されたような気持ちになった。

 

しかし、
私はフィードバックというものの本質を100%履き違えていた。

 

 

フィードバックと感情表現の違い

そもそも、フィードバックで厳しいことを言われても
「あなたのことが嫌いです」という意味では全くない。

 

フィードとは英語で「Feed」であり、「食べ物を与える≒栄養を与える」ことを意味する。また、バックは「Back」であり、「返す」ことを意味している。

つまり、フィードバックは受け手にとって活かせるもの(客観的な評価)を伝える行為なのである。

 

一方で、感情表現とは、人間の内面に彷彿した感情を表現すること。良くも悪くも、相手に直接伝わるために、関係がよくなることもあるが、最悪の場合断絶ということもある。

 

私はフィードバックを感情表現と混同していた。

そして、私に対して客観的な視点で伝えてくれている厳しいフィードバックを、「お前まじで使えなさすぎ、大っ嫌いだクソ野郎」という感情表現と混同していたのである。

 

・客観と主観
・事実と解釈
・フィードバックと感情表現

これらを切り離して認識することはとても大事だ。

 

それらを切り分けられていなかった私は、
厳しい言葉、痛いところを突く言葉を言ってくる相手に対し、
あぁ、この人からは嫌わてしまったと勘違いしていた。

 

そんなことで落ち込むのは馬鹿である。
相手は自分のことを嫌ってもいないし、失望もしていない。
厳しいフィードバックはむしろ、真摯に向き合ってくれている証なのである。

 

 

ありのままフィードバックの巻

また、自分から他者に厳しいフィードバックを言うのも、良いことだと思うようになった。
私は就活時代、相手からどう思われるかを気にして本音を包み込んでばかりいて、ロールキャベツ作りの天才になっていた。しかし、ロールキャベツでは中身が何かはっきりと分からない。本当に言いたいことが伝わらない。

 

伝えるべきことがしっかり伝わるように、どストレートにフィードバックすべきだし、あくまでも周囲から見た時にこう見えるという客観的な評価なので、別に言われた本人がどう捉えるかはお任せしたらいい。

 

大事なのは、客観的に周囲からそう見えたとお伝えすること。
だって本人がどう思っていようが、周りからはそう見えているというのは、揺るがない事実だから。

お伝えしたら後は本人次第。改善したいなら改善すればいいし、変えたくないなら変えなくていい。別に正解がある訳ではない。どっちでもいい。本人がなりたいようになればいいのだ。

 

だから、言う側はありのままでフィードバックしたら良いと思う。

 

 

まとめ

1.フィードバックと感情表現を切り離して捉えよ(フィードバックを貰う側)

厳しいフィードバックで相手から嫌われたと思うのは被害妄想なので、
そういったフィードバックを貰ったら、表面的に取り繕うのではなく、真摯に受け止めて成長していくのが良い。

2.ありのままでフィードバックせよ(フィードバックする側)

フィードバックはあくまでも周囲からの客観的な評価であり、フィードバックを貰う本人がどう思っていようが周りからそう見られている事実は変わらないので、率直にお伝えするのがいい。その上で、何を選択するかは本人にお任せしたらいい。

 

お昼寝にU理論を使おうとしたら世界の真実が見えた(三部・完結)

(前回のあらすじ)

お昼寝中に突如現れた罪悪感。リフレーミングとU理論を活用してその罪悪感と徹底的に対峙した私は、幼少期から洗脳され続けていたことに気づき、覚悟を持った決断によってその洗脳から解き放たれた。そして無事に、罪悪感を感じることなくお昼寝することに成功したのだったが、、、

 

↓詳しく読みたい方はこちらから 

shunsakuimoto.hatenablog.com

 

↓続き

私は何とか洗脳から抜け出した。
とんだ茶番だと笑って読んでいた読者も多かろう。

 

ただ忘れないでほしい。
この世界で生きている限り、必ず何かの固定概念に縛られていることを。

 

人の目を気にしてしまう。
他人と自分を比べてしまう。
感情を表に出せない。

その裏にはいつだって 、いつの間にか刷り込まれた固定概念があるし、そこからきている恐怖がある。気付かぬ間に人は、恐怖を避けるための人生選択をするようになっている。

 

他人と自分を比べてしまう人。
その人はもしかすると、他人より劣っている自分には価値がなく、そんな自分は誰からも必要とされないという固定概念に縛られているかもしれない。そこから、他人に負けることに恐怖を感じるようになり、他人に勝つための行動選択をさせられるようになってしまった。

 

実に単調な人生だ。
選んでいるつもりが、実は選ばされている。
恐怖への回避行動をとらされているだけにすぎない。

 

この機会に一度、自分に問うてほしい。
本当に自分らしく生きられているか?
恐怖に駆られ、回避するための人生にしてはいないか?

 

大事なのは一歩引いてみることだ。
一歩踏み出せない、怖い、罪悪感がある。
そういった時には一歩引いて見て、自分が縛られているかもしれない固定概念と、無意識のうちに持っている恐怖を探してみてほしい。

 

それが見えたら後は決断だ。
固定概念に縛られて生きるのも、それを解いて自分らしく生きるのも、別にどっちがいいなんてない。別にどっちでもいい。

 

自分がどう生きたいか。
意志決定するだけだ。

 

そして、自分らしく生きる道を選んだ人へ最後に一言。

 

 

 

 

 

 

 

 


戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 

おしまい。

 

※「U理論使ってないじゃん!題名詐欺だ!」という方へ、素直にごめんなさいm(__)m

お昼寝にU理論を使おうとしたら世界の真実が見えた(二部)

(前回のあらすじ)

心地よくお昼寝をしていた私のもとに突如現れた罪悪感。
その罪悪感を消すべくU理論を活用していた私は、この世界が隠し続けていた真実に気付いたのであった。

 

↓詳しく読みたい方はこちらから

shunsakuimoto.hatenablog.com

 

 

↓続き

(当時の思考)

--------------------------

罪悪感なくお昼寝がしたいぃぃぃぃぃぁぁぁぁっぁぁぁああああああ!
だがリフレーミングでもこの罪悪感を消すことは無理だった。
こうなったらU理論を使うしかない。

 

お昼寝をしている自分がいて、焦燥に駆られている。頑張っていないことに罪悪感があるのだ。そのことを、肯定も否定もせず、ただそうあるものとして受容していく。
自分の捉え方や感じるものをあるがままに観察し、ありのままの自分としてそれを受け入れていく。その受け入れ態勢がマザーテレサの領域に入りかけた時、 私は自己受容をしながら、過去の記憶を紐解いていった。

 

そもそも、
お昼寝に罪悪感を感じるようになったのはいつからだ。
少なくとも0歳の頃は罪悪感はなかった。お昼寝は自己成長の時間であり、そこに多くのリソースを投下している自分にプライドさえ持っていた。
だが中学生の頃にはもう罪悪感を感じていた。宿題があるのにお昼寝をしていたあの時間は猛烈に苦しかった。

 

頑張らないといけない状況なのに、頑張っていなかったから苦しかったんだ。
そうか、そうか。。。

ん?

あれ?

そうなると、

なんで"今"頑張らなきゃいけないと思ってるんだ?
そもそも今って誰からも「頑張れ」って言われてなくね?

 

たとえば、ここが就活でいう事業立案型インターンシップだったらまだ分かる。
それなら私も、お昼寝の状態からマッハ3で頑張る体制を整え、24時間戦い続けても大丈夫ですアピールをして、夜の睡眠時間を極限まで削りに行くだろう。そして、発表日に目を血走らせながら、「2時間寝れたので全然大丈夫です!みんな絶対優勝しような!うおおお!」とか言って、張りぼてのようにガバガバな事業案をゴリゴリの執行役員の前で披露し、さも完璧なアイデアであるかのように熱く語るのだ。
なんと虚しい行為であろうk

 

口が滑りかけた。危ない危ない。(◎_◎;)

 

だがしかし、こと"今"においては、
誰からも頑張れと言われていない。
自分も別に頑張りたいと思っていない。
なのに、頑張らないといけないと勝手に思い込んで、勝手に罪悪感を感じている。

 

これは異常なことだ。
知らず知らずのうちに形成された意味不明な固定概念が、自分の中で確固たる行動規範となり、半自動的に 自分の思考と行動を制御していたのだ。

 

誰からも求められず、自分もやりたくないことをやろうとしている。
これほど滑稽で愚かなことはない。だが、その何より滑稽で愚かな行為を、私は平然とやろうとしていたのだ。
この真実に気付いたとき、私は心から恐怖した。

 

そして、パンドラの箱を開ける決心をして、原因の究明を始めた。

 

この矛盾に溢れた行為がなぜ生まれたのか?
そもそも、人の性格は大きく4つの要因によって形成されている。

1.気質…生まれつきの先天的なもの

2.家庭環境…親の影響など

3.社会環境…社会的な考えの影響など

4.役割…その時々の役割に応じた考えや立ち振る舞い

 

0歳の頃に罪悪感を感じなかったということは、どうやら先天的なものではないようだ。そして中学生の頃に感じたということは、家庭環境か社会環境が要因として考えられる。


そう言えば、
小学校の頃、帰りの会で"頑張っている人を褒める制度"があった。「〜〜さんは、すごく頑張って掃除をしていました。拍手しましょう。パチパチ。」確かに、頑張ることが正義だという価値観はこういったことで培われたのかもしれない。
高校入学時にこんなことを言われた。「我が鶴〇高校では、学生の部活動加入率は9割を超えており、塾に通っている者は少なく、家での学習時間は平均4時間であります。文武両道ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおうぉぉぉおおおお!!!」
ここまでくると、もはや人間というよりスーパーサイヤ人だ。
より頑張っているほうが、あたかも価値があるかのように教育を受けてきた。

 

積み上げられた教育の末に、頑張る人間は善で、頑張らない人間は悪だという価値観が完成したのだ。教育という名の社会環境によって、先ほどの固定概念は形成されたようだ。


これはもはや洗脳と言っても過言ではない。
本人も気づかないほど自然に、そして心の奥深くに、「頑張ることが正義で、頑張らないことは悪だ」という固定概念を植え付けている。
北朝鮮も思わず二度見してしまうほど完璧な集団洗脳である。

まず間違いなく、洗脳は成功したと言えよう。
現に私は今、誰からも頑張れと言われず、自分もお昼寝したい状況であるにも関わらず、頑張っていないことへの罪悪感を勝手に感じて1人でもがいている。

 

想像してほしい。
誰もいない部屋で、21歳にもなる大男が、お昼寝したい気持ちと、それをとめる罪悪感の狭間で、うんうん唸っている様子を。異常な光景が想像できただろうか?
これが洗脳だ!!!

 

教育という名の社会環境によってつくられた虚構の自分。だが、それを本当の自分だと思い込んでいた。

 

今こそ洗脳を解くときだ!
頑張っていないことに罪悪感を覚え、やりたくもないのにプログラムされたロボットのように頑張り続ける時代は終わった。

 

罪悪感に追われて、単調に走り続けていた日々。
今思うと涙ぐましい。あぁ、なんて悲しい生き方をしてきたんだ。
偽りのルーティンから脱却し、これからは自分らしく生きよう!

 

そう決めた私は、頑張ることをやめ、人が20時間かけてやることを最適化して4時間で行い、残りの16時間はお昼寝をすることを心に誓った。
それでいいんだ!

 

無事に罪悪感に勝利をした私は、
バク宙とハンドスプリングをしにお花畑に戻ったのであった。

 

 

結局言いたかったことは?

 

↓続きは三部で。

shunsakuimoto.hatenablog.com

 

お昼寝にU理論を使おうとしたら世界の真実が見えた(一部)

私はお昼寝が大好きだ。

 

その好き度は、
中学2年生になって初恋をしてしまい、意識しないように一生懸命他のことを考えているにも関わらず、ふと気づくと好きになった女の子の顔が頭の中に浮かんでいる男の子と同じレベルといっても過言ではない。

つまり、私は初恋をした中学2年生の男の子だ。
明日世界が終わるとしても、大統領にとめられたとしても、それでも突き進む惡の華だ。

 

ということで、
本日も勤しんでお昼寝をしてきました!( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

心地良い時間。
両耳からは全てをフラットに戻してくれる綺麗な音楽。
何を隠そう、このお昼寝のためにイヤホンを新しく変えたのだ。

気温もほど良く、そよ風が気持いい。
いつの間にか私は、お花畑をバク宙とハンドスプリングで駆け回っていた。

 

 

ところが!!!
突然やつが現れた!

 

 

む、むねがくるしい。。。
なんだ、この痛みは。
どんなに苦しくないと言い聞かせても、もはや無視することはできない。

 

 

やつの名は、

"罪悪感"

 

お花畑をバク宙とハンドスプリングで駆け回っていた私の胸倉を締め上げ、お昼寝ばかりして頑張らないなら敗者の烙印を押してやると脅してきた。

 

引き裂かれる2人(私とお昼寝)。
積みあがるタスクもすぐそこに迫るコロナも忘れて、お花畑をバク宙とハンドスプリングで駆け回っていた幸せなあの頃にはもう戻れない。

 

確かに、やつの言うことももっともだ。
お昼寝をしてばかりいて頑張らなければ、勝者になることはできない。
しかし、起きて頑張るという選択は、大好きなお昼寝とのお別れを意味している。

 

どっちを選べばいいんだ。。。
悩んだ私は、普段キャリア支援をする中で駆使しているリフレーミングという手法を活用してこの危機を乗り切ることにした。

フレーミングとは、ある出来事や物事の捉え方を変化させることで、気分や感情を変えること。 たとえば、仕事で失敗したときに「自分はダメだ」と見るか、「次のために良い経験をした」と見るかで、感じ方が変わるのがまさにそれだ。

 

フレーミングを駆使して、何とかお昼寝を肯定しようとする私。
よく考えろ、お昼寝はそんなに悪いことか。お昼寝することで、その後より長時間頑張れるようになる。またお昼寝をすることで、脳内データが整理され、効率的にタスクを行ったり、合理的な意思決定を行ったりすることが出来る。言うなれば、お昼寝は将来への投資だ。即効性があり、確実に成果が出る優良投資案件なのだ。さらにお昼寝をすることでうんたらかんたら、ちんぷんかんぷん、どすこいどすこい。

 

結論だけ言うと、
やつ(罪悪感)を完全に消し去ることはできなかった。

 

もはや私には、「お昼寝する=頑張っていない=ダメだ」という方程式が「1+1=2」と同じくらい当たり前に成立していた。/(^o^)\ナンテコッタイ

 

それでもお昼寝がしたい私は、マサチューセッツ工科大学の上級講師であるオットー・シャーマー博士が生み出したU理論を活用して、お昼寝という概念に対して過去の延長線上ではない変容を起こそうとした。

※U理論とは、過去の延長線上ではない変容やイノベーションを個人、ペア、チーム、組織、コミュニティ、社会のレベルで起こすための原理と実践の手法を明示した理論。

 

 

その結果、私はこの世界がかたくなに隠し続けてきたとんでもない真実に気づいてしまった。ここから先を読むのはあなたの自己責任だ。
読んでしまったら知る前の世界には二度と戻れない。

 

それでは、真実をお届けしよう。

 

(後編に続く) 

shunsakuimoto.hatenablog.com

 

 

自己分析の全体像(就活用)

自己分析は就活において極めて重要と言われており、実際に「就活時代にやっておいてよかったと思うことランキング」では常に上位にきています。

一方で、「自己分析が終わらなかった!」「自分のことがよく分からなくなった」といった声も聞かれ、納得感のある自己分析を行えていない学生が多くいることも事実。 

そこで今回は、圧倒的な独断と偏見のもと、就活における自己分析の全体像をざっくり整理してみました!( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

 

1.自己分析の全体像

自己分析には、3つの段階があります!

f:id:imoshun:20200609235756p:plain

自己分析の全体像

 

それぞれの段階で自分なりのゴール設定を行い、ゴールを達成できるように自己分析を行うことが大事。

※注意点:自分は何者なのかとか、存在価値から考え始める人もいますが、ゴール設定が曖昧で何をどこまでやればいいのか分からない状態で自己分析をやっても、実はあまり効果ないと思われます。( ̄▽ ̄;)

 

 

2.年間スケジュールと自己分析(具体例)

ちなみに3つの段階のうち「選ぶ段階」と「受かる段階」は繰り返し出てきます。1年間の就活スケジュールで見た時、例えばベンチャー志望の就活生では下図のようになるでしょう。(大手や外資などのスケジュール観はインターンシップガイド参照)

 

f:id:imoshun:20200610000822p:plain

例:ベンチャー就活生の年間スケジュールと3つの段階

 

ベンチャー志望の学生のケース》

まず、サマーインターンの前に「受かる段階」の自己分析を行い、自分の強み・弱みとモチベーション特性(どんな時にモチベーションが上がるのか)を明確にしていますね。それをもとに、自己PRや志望動機などを考え、ESを書いたり面接に臨んだりしたようです。

そして、8月9月のサマーインターンと、10月からスタートするOB/OG訪問を通して多くの社会人と会う中で、自分が働くときに何を大事にしたいか(例:活動、人、給料、ビジョン)を模索していき、12月の終わり頃に自分の将来像と就活の軸を明確にしています。このケースを見ると、「選ぶ段階」においては1人で考えるのではなく、多くの社会人と関わりながら自己分析を進めています。

その後、就活の軸をもとに受ける企業を決め、2月頃から始まるベンチャー企業の本選考に備えて、改めて「受かる段階」の自己分析を行っています。この際にはビジョン、パーソナリティ、資質の言語化を完成させ、本選考に臨んだようです。

最後に、内定承諾して就職する企業を決める際に、自分が納得感を持って決断するために、「決める段階」の自己分析を行い、どのように意思決定すれば自分の納得感を最大化できるのか把握した上で意思決定を行っています。 

 

 

どうでしょう?ざっくり1年間のイメージができたでしょうか?

ベンチャー志望でなかった学生も、ぜひ就活サイト(インターンシップガイド等)の年間スケジュールをもとに、自分なりに考えてみてください。

 

 

それでは、まとめに入ります。

まとめ

①自己分析には「選ぶ段階」「受かる段階」「決める段階」の3つがあり、それぞれに対してゴール設定をして自己分析を行うことが大事。

②「選ぶ段階」と「受かる段階」の自己分析は、就活中に何度も出てくるものであり、短期集中というより就活期間をフルに使って分析していくと良い。

 

明日からのAction

1.自己分析に関して、自分なりの年間スケジュールを描いてみる。(就活サイトのスケジュール表をもとにすると良い。)

2.逆算して、直近1か月のゴールを設定してみる。

 

次回

→受かる段階の自己分析を3stepで紹介!!